日常生活に哲学は必要だ/三浦朱門、鷲田小弥太
February 01, 2004
最近、日本の若者は自分の考えを強く押し出さなくなってきた。というより、自分の考えがなくなってきた。でもそれでは人とは深くは関われないし、人生が面白くない。そんな時代を面白く生きるには、自分というものを貫く哲学が必要なんじゃないか。
そんな問題提起から始まるこの本は、札幌大学教授の鷲田氏と、作家の三浦氏の二人の対談によって進められていきます。フリーターについて、教育について、生き方についてなど、内容は多岐にわたりますが、基本的には、もっともっといろいろ考えて人生を面白くしようではないかというのがコンセプトになっている感じです。なんだか難しそうなテーマですが、対談なので、軽〜く読めてしまいます。
三浦氏曰く、若者が考えなくなった理由や、フリーターが増加している原因の一つとして「使命感の欠如」を挙げています。
「これは俺がやらなきゃしょうがない」というのが内在的使命感。「お前がこれをやらなきゃどうしようもない」というのが外在的使命感。それが間違ってたっていいんです。自分の内側から、あるいは外側から、そう思わせる仕掛けが、家庭にも学校にもなくなっていることが大きいですね。いい会社に入るためにいい学校に入るでは、内在的にしろ外在的にしろ、使命感など持てるはずがない。
興味深かったのは、面白い生き方として、鷲田氏が「東京」という都市の性質を例えに出していた事です。僕は10代の頃、東京っていうのは、ヨーロッパやアメリカの町並みに比べて、なんてグチャグチャなんだろう…なんて思っていて、かなり否定的に東京ってものを考えていた時期があったんです。でもアメリカに来てみて、きちっと区画整理されたダウンタウンや住宅街での生活を経験し、確かに奇麗なんだけど、どこか人工的過ぎて、そこで生きる人間の活気とか生命力みたいのをイマイチ感じないというのも正直あったんですね。
全体を計画し、デザインを作ると、都市って鮮度をうしなうんじゃないでしょうか。私は全体の計画やデザインは必要ないと思いますね。もちろん、部分部分の計画やデザインは必要です。だが、部分と部分との整合なんて考えなくていい。デザインされた部分部分がアメーバーのように発展し、ぶつかり合って変化していく。そこに思いもかけない素晴らしい物が展開する。それが生きているということではないでしょうか。
確かに自分の人生を、きちっきちっとデザインすることができたらスッキリするだろうけど、それにそって生きて行くだけでは何か面白くない。部分部分ではきちっと考える。一生懸命やる。でも全体的には、ガチガチにせずに、余裕を持たせてやる。すると、それらがひょんなタイミングでぶつかりあって、思いがけない出会いやらチャンスに巡りあう、そんな生き方。確かに、面白いかもな〜などと思ってしまいました。
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