日本語の作文技術/本多勝一
February 07, 2004
先日、コーヒー屋さんでこの本を読んでいたら、デービットというアメリカ人の友達に会いました。彼は日本に行った経験があり、日本語をかなり上手く話します。言葉を学ぶ事が趣味らしく、他にもドイツ語やラテン語なども勉強していると言っていました。そこで僕は彼に「日本語は難しい?」という質問をしました。すると彼は「いや、日本語はシステマティック(系統的)で簡単だ。ドイツ語もそうだ。でも、ラテン語は本当に難しいんだ。」と答えました。
日本語が簡単!?多くの日本人にとって、このデービットの答えは意外なんじゃないでしょうか。日本語っていうのは非論理的で、他国の人々が学ぶには本当に大変な言葉だって、そういうイメージがあると思います。僕もアメリカに来る前はそうでした。「日本語は世界の中でも特別難しい言葉」という認識。
ところがこの「日本語の作文技術」の作者である、本多勝一氏はこう主張しています。
あらゆる言語は論理的なのであって、「非論理的言語」というようなものは存在しない。言語というものは、いかなる民族のものであろうと、人類の言葉であるかぎり、論理的でなければ基本的に成立できないのだ。
当たり前のことなのに、この部分に僕はひどく納得させられてしまいました。たしかに、多くの人が日本語を話しているわけで、その中には必ず法則やルールが存在するんですよね。
じゃあなんで僕は「日本語は非論理的だ」と思っていたのか。その原因として、日本語というものが僕にとってみたら”あたりまえ”のものになりすぎていることがあったのかもしれません。そもそも日本で生まれ育った僕は、文法やら構造やら、難しい事を考えて日本語をしゃべってません。日本語を使うことっていうのは、呼吸をするのと同じようなことで、無意識に使っています。つまり、日本語自体が非論理的なのではなく、僕が単に日本語に慣れきっていて、その中にあるルールなどを全く知らないだけだった。
もしフランス語が論理的で日本語が非論理的だというなら、そのように考えるのと全く同じ次元の論理によって、反対に「日本語こそが論理的で、フランス語はまことに非論理的だ」ということも可能なのである。
アメリカで生まれ育ったデービットも自分の母国語である英語について、「日本語は構造的だけど、英語はぜんぜんダメだね。まったくグチャグチャだ…」みたなことを言ってました。つまり、言葉が何であるかの問題ではない。人って、自分にとっての母国語に対して、妙に非論理的に感じてしまう傾向があるのかもしれません。
それに加え、僕が「日本語だけ他国の言葉に比べて特別難しい」と考えた理由として、自分の国に対する自国意識過剰のような心理も働いていたのかもしれません。僕は日本にいたころ、日本っていう国は、世界の中でも特別すごいんじゃないか!?っていう特別意識みたいのがあったんですね(多分、小さい島国なのに経済力は世界二番だ!っていうのが大きかったと思うんですが…)。ところが、他国の人々にとってみたら、日本は世界190ヶ国のうちの一つの国にすぎないんですよね。たしかにユニークで影響力も大きい国かもしれない。でも、日本だけが特別じゃない。こういう自分の国に対する謙虚な認識っていうのは、国際社会で生きて行く上ではとても重要なことなんじゃないでしょうか。もちろん、自分の国に対する自信も同時に必要だと思いますが。
アメリカで生活していると、他国の人々に日本語を教える機会なんかが良くあります。でも、なかなか日本語の文法や構造を上手く説明できず、フラストレーションが溜まるという経験をたくさんしました。だからといってそんな時、「日本語は論理的じゃない言葉だから…」と言って逃げてしまうのは、自分の国に対する特別意識、甘えのようなものが働いているからなのかもしれません。そして、自分が勉強不足であることを棚にあげてるだけなのかもしれません。
本多勝一氏の思想に関しては賛否両論かなり分かれるようですが、まあ、今回はそのことはとりあえず置いておいて、この本を使ってもう少し日本語について勉強してみようかなと思っています。
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