僕は何かの問題にぶちあたった時、たとえそれがどんなに大きくて手に終えない問題でもできるだけ答えを見つけることにしている。テストの点数が悪かった、失恋した、何か大きな失敗をしでかした、などなど、必ずなんでそうなってしまったのか徹底的に考える。失敗の教訓を生かして少しでも前に進むために、できる限り精一杯に考えてケリをつける。もちろんその時出しだ答えと言うのは完璧ではないし、幼稚な答えかもしれない。でも、そうすることで、それをたたき台にして考え方を改善していけると思うからいつもそうしている。
テロ事件についても同じだった。僕は僕なりの答えを出せればと考えた。この大きな事件を前にして、僕はちっぽけな存在に過ぎない。けれどもテロの当事国アメリカにいる留学生の端くれとして、何かしらの答えがないと何か落ち着かなかったんだ。
一年前、僕はアイダホのアパートでいつものように朝目を覚ました。眠気まなこに、インタネットに接続してホットメールをチェックしようとして、MSNのホームページに行ったんだよね。でそのページには「ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が激突」とかってたしか一行だけ書いてあった。写真も何にもなくって、ただそれだけ。ほんと一瞬とまどったよ。まさかあのワールドトレードセンターに?他にも同じ名前のビルがあったっけか?事故?それとも、、、?ともかくこれはただ事では無さそうだと思った。家にテレビがなかったし、はやく映像で確かめたかったから、僕は急ぎで支度を済ませて、学校へ直行。
すると学生食堂に巨大なスクリーンが設置されていて、ニューヨークの様子がテレビ中継されている。ほんと血の気がすーっと引いた、そして言葉を失った。事態が大きすぎて、何を言ったら良いのか、ともかく絶句だよね。テレビでは飛行機がビルに激突するシーン、そしてビルが倒壊するシーン、そして多くの人が逃げ回るシーンなど、ほんと信じられないような光景がくり返し放送されていた。あのNYの象徴であるワールドトレードセンターが、二つとも完全に倒壊してしまったんだから、、、、。
そして僕の思考は完全にストップしてしまった、、、。
なんて事件なんだ、、、、ってともかく事態が大きすぎて何から考えよいのかわからなくなってしまったんだ。それと同時に思ったんだ、これじゃいかんと。このままテレビの映像を見続けてもショックを受けるだけで、何も考えることができなくなると思った。テレビを見続けて、感情的になってしまって物事を客観的に、中立的に考えられなくなるっていうのが嫌だったんだ。
そこで僕はある答えを出したんだよね。「テロに関するテレビ番組の報道を一切見ないようにしよう」と。
テレビは映像を使って、圧倒的かつ断片的な情報で視聴者にわかった気にさせてしまい、逆に問題の本質から視聴者を遠ざけてしまってるんじゃないかって思ったんだ。だから、そんなテレビからの情報だけを頼りにものごとを判断しようとすると、いつになっても問題を解決することができなくなってしまう。そういう危機感から僕はテレビをオフにしたんだ。
韓国人と日本の植民地支配に関する話をする時が良い例かなって思う。日本の植民地支配の話になると決まって喧嘩腰になってくる韓国人がいる(もちろん全員ではないよ)。そういう人たちは決まって植民地支配をした日本は悪だ!と鼻から決めつけてる。そしてそれに対処しようとする僕ら日本人も、韓国に根強い反日感情が残ってるのを知っているし、歴史がイマイチわかってないから返す言葉が出てこない。そして消化不良のまま、議論はいっこうに進まず、、、。こういう経験、得に留学生は多いんじゃないかな。
でもこういう場合、韓国人も日本人も、お互いの主張の根拠っていうのはテレビであり、新聞であり、教科書だけって場合が多い気がする。どちらもそれら情報を鵜呑みにしてしまって自分の考えの基礎にしてしまっている。だから、何故あの韓国の近代化、経済成長は成し遂げられたか?そもそも日本軍が来る前の韓国という国ははたして誰もが住みやすい良い国だったのか?という議論にまでたどり着けない。でも、そういった議論がなしで、ただテレビからの断片的な情報だけを頼りに、感情的に話をしたところで韓国と日本の間の問題は何にも解決しないんだよね。
つまり、僕がテレビからの情報に対して無抵抗で、受け身である限り、何にも変わらないんじゃないかと思う。韓国人と日本人の例でもそうだけどさ。いつまでも議論は平行線のままで何も前に進まない。そしてお互い傷つけあってしまう。
アメリカと中東の問題を考える時もそう。僕がメディアからきちんと独立した存在でないと、けっきょく解決策は見えてこない。テレビから一方的に送られてくる情報をただ消化するだけでは、何も変わらないような気がする。
テレビの報道でさんざんアメリカは被害者だ!テロには屈しない、これは戦争だ!パールハーバーの再来だ!とかって言ってたのがあったけど、あれもどうかと思った。だってアメリカだってさんざんインディアンを迫害してきたわけだしね。最近になってニューヨークのワールドトレードセンターの場所をグラウンドゼロっていって、その前でリポーターが深刻な顔してコメントしるけど、広島だってグラウンドゼロだし、その原爆を落とした張本人はアメリカなわけで、、、。
ともかく今僕達にできることは、テレビで切り取られた断片から物事を感情的に見るのではなくて、長い歴史の中で物事を客観的に見ることのできる力を養うことだと思う。たくさんの価値観を認める許容力や柔軟性を養うこと。それがまず僕がしなければいけないことだと思ってる。そしてこれは常に継続していかなければならない。とりあえずあのテロから1年間、テレビでのテロの報道はほとんど見なかった。
だってそうしないと、「ああ、大変なことが起こった」でちょっとしたら忘れてしまうことの繰り返しになってしまうし、そんな状態こそ平和ボケの末期症状で、発展途上国の人に文句いわれてもしょうがないって思ったんだ、、、、、。でも、日本にいたらできなかっただろうなーきっと。暇さえあればテレビ付けちゃうし、話題にもついて行けなくなっちゃうし。
ともかくあれから1年が過ぎた。そしてこれからも時間はどんどん流れていってしまう。だからこそ僕は節目節目で立ち止まって少しでもいろんなことを考えて行けたらと考えている。そして、自分の生活、行動をほんの少しでも変えていけたらって思う。その小さな変化が、やがて他の人たちの変化と交わって、大きな変化となっていくかもしれないしね。