日本人の基礎学力

Written by : Masafumi Kokubo

■日本人の基礎学力は中学生レベル!?
 一般的に日本人の平均基礎学力は高いとされている。統計によると、日本人の識字率は、アメリカが99%なのに対し、100%である(91年統計)。また、20歳の男女の平均IQを比較しても日本人はアメリカ人と比較し10も高い。これらの差は数学などの分野で顕著である。私もGMAT(ビジネススクール入学のための試験)を受験したが、多くのアメリカ人が手こずる数学の分野で大いに点数を稼ぎ出した。しかし、他の分野ではいかがであろう?はっきり言って、日本人の基礎学力レベルは、アメリカ人の中学生レベルでしかない。

■日本の教育制度の問題点
 なぜ私がそのように考えるのか?これは日本の教育制度に問題がある。ぶっちゃけた話、日本では大学受験がすべてだ。そしてその大学受験は応用力を問うものではなく、いかに数多くの事象を暗記し、限られた時間内で答案用紙に正しい事実を埋めて行くか、ということを問う。ゆえに、日本のインテリジェンスは、その個人の知識量をもって測る。その日本の尺度を物差しにした場合、果たして、日本人はその知識量をいかに英語で表現できるか?ということがポイントになるのではないだろうか?例えば、私は大学受験の際、世界史の平均偏差値75という、自分で言うのもなんだが驚異的なレコードを残してきた。また、私の語学力は、TOEFL600点を超えている。いわゆる留学生としては十分な力を持っている。その私が、もし、英語で自分が実際に受験した世界史の試験を受けたらどうなるか?偏差値50がいいところだろう。これが、私が日本人の基礎学力は中学生レベルと訴える第一の根拠である。

■これだけ違う日本とアメリカの教育方法
 我々が知識の吸収に勤しんでいる時、アメリカ人学生は、いかに自分の意見をロジカルに立証できるか?という作業に傾注する。そしてそのロジカルの基礎になるのもが、知識ではなく、コンセプトの理解である。たとえば、日本の大学における経済学の講義とアメリカの大学におけるそれとを比較した場合、前者は、「サプライとディマンドが交差するところが、市場均衡点である」と教えるのに対し、後者は、「なぜサプライとディマンドが交差するのか?」というアプローチを取る。この点については、日本人は白旗を揚げざるを得ないであろう。 以上、日本人の基礎学力がいかにアメリカで通用しないということを述べてきた。それでは日本人はいかなる道をとるべきか?あくまでも日本式の尺度に固執し、日本語で叩き込んだ知識を英語に訳していくのか?個人的な見解では、例えば25年間かけて吸収してきた知識を、英語に直していくのは、簡単な算数によるとまた25年かかる。いっそうのこと、また、せっかくアメリカに来ているのだから、日本式に固執せず、一からアメリカ式の学習スタイルをとったらいかがか? 

■日本のことを知らない日本人留学生
 それでは、肝心の日本人留学生は、どう私の目に映るのか?まず、第一に言える事は、あまりにも基礎学力がお粗末なことだ。これは、先述したとこに加え、あらゆる点で問題を生じさせる。一般的に言われていることであるが、しばしば、「日本人留学生は日本のことを知らない」と言われる。アメリカ人は、教授も含め、日本のことを知りたがる。日本人なら知っていて当然だと思っている人が多いからだ。しかし、残念ながら間違った情報を提供している留学生があまりにも目に付く。つまり、公定歩合も分からない学生が、日米貿易差益について語れるわけないし、「祇園精舎の鐘の音、所業無常の響きあり。。。」で始まる平家物語の第一節の趣旨を理解できない学生が、侍の事を語る資格はないのである。

■日本人同士でつるむこと
 次に、所謂、日本人同士でつるむ、ことが諸悪の根源として従来より指摘されてきている。私の目に映る日本人留学生像も、まさしくその通りであるが、果たしてこれは悪いことなのか?中央大学法学部で日本社会思想史を担当されている安田教授は、日本を「天皇制を中心とした農村国家」と評した。徳川政権は、士農工商制度における農民を抑えるため、五人組を組織させ、農民は他人と同様の行動をとるよう、また、それに従わないものは、所謂、お上に通告しそれ相当の代償を払うよう強要させた。政権が変わり、明治になると、その農村の心理的象徴として、神としての天皇の存在を信奉することが、農民の、行動を共にすることに対する、ひとつの息抜きまたはスローガンとなり、依然として他と同様の行動をとることが美徳とされてきた。さらに時代が移り現代に至る訳であるが、依然と我々(日本人の95%が元は農民である)の潜在意識の中には、上記観念が生きている。つまり、行動心理学的アプローチでは、見知らぬ土地で生活することにこの潜在意識が働き、所謂「仲間でつるむ」という行動になるわけである。このような、先天的に持ち合わせた本能をドラスティックに変更させる事は不可能に近いことであり、求めてもいけないのではないだろうか?

■日本人としての最低限のマナー
 それでは、日本人留学生が日本人だけの排他的コミュニティを形成することは致し方ないと仮定した上で、第三の点として上げられることが、日本人としての最低限のルール、マナーを持ち合わせていない学生が多いこと。そのような、日本人コミュニティの中で生活していくには、多少の軌道修正はあったにしろ、日本人としてのルールが適用されて然るべきである。残念ながら、私の目に映る日本人には、このような基礎的社交マナーが驚くほど欠如している。これは、言葉使い、礼儀といった物ではなく、例えば、目上の人や初対面の人に対する接し方にはっきりと現れる。

■厳しい日本の留学生に対する評価
 第四は、所謂"就職神話"がいまだに適用になっていると勘違いしているものが多いことである。従来アメリカに留学するだけで、いい就職ができるとされてきた。早い話、偏差値45くらいの実力のものが、アメリカの大学を出ているというだけで、日本の著名企業に就職できた。しかし、現在の日本企業を取り巻く経済環境は、愕くほど深刻であり、人事政策にいたるまで見直さなければいけないような、抜本的構造改革が求められている。このような状況下において、目的もなく、自分に箔をつけるために留学しに来たような生徒を日本企業の人事が見抜けぬはずがない。

■結論、日本人留学生はいかなる道をとるべきか? 
 最後になるが、私もアメリカに留学している一人の日本人の端くれとして、ひとつのティップを与えることで締めくくりたい。このエッセイの中で、日本人留学生が抱えるさまざまな問題などを糾弾してきたわけであるが、何も対案がなく喚いている訳ではない。また、日本人を根っから嫌いでこのように言っているわけではない。ただ、アメリカという隔離された地で、高GPA獲得だけを目標にしていると、周りが見えなくなる傾向にある事を十分に理解した上で、仲間に対し、激を送っているわけである。そのティップというのは、我々に根付いた欠点を逆手に取ることである。例えば、日本人は敗戦時のマッカーサーを中心としたGHQによる教育改革により、完全に、一人でものを決定できない民族にされてきた。これは、言い換えればナチュラリズムの欠如と言える。誰も彼も、「アメリカがやっていることが正しい」と潜在的コンプレックスのように考える思考回路が根付いている。例えば、経済危機に対し、多くの日本企業が「年功序列は悪だ。アメリカに習い、能力主義にしなければ」と躍起になっている(個人的にこの手の考えは、情けないの一言に尽きるが、本論からそれるので省く)。このナチュラリズムの欠如こそ、我々の最大の武器だ。つまり自国を客観的に鳥瞰できるのだ。みんな日本のことを好きか?おそらく「嫌い」と答えられる人もいるであろう。しかし、世界のほかの国々では、その見方ができない。ほとんどの人間が「YES」と答えるであろう。だから、韓国人は、個人的人間関係の中でも「謝罪しろ」と求めてくるのであるし、アメリカ人も「広島と長崎に原爆を落としたのは、他に方法がなかったからだ」と自信満々で答える。そのような民族が、自国の損得に絡む事象を考えたとき、果たして、主観の介在はないのだろうか?私の光では、まさしく主観によるところが大きいと想定できる。この日本人特有の客観的な視野を大いに活かし、これからの留学を意義あるものにしていただきたい。


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Last Update : 2002/10/05

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