真の国際人とは

Written by : Masafumi Kokubo

■「国際人」「国際感覚」は安売りされている。
 国際人・国際感覚という表現を頻繁に耳にする。はたして、国際人・国際感覚とはどういう意味を持つのであろう?個人的な見解では、ひとつの目標として国際人を目指すこと、国際感覚を身につけることは決して悪いことではない。日本は、ホモジニアス国家(単一民族・単一宗教etc)であり、天然資源なども限られているため、世界の国々と歩調を合わせていかない生きてはいけないからだ。しかし、筆者がここで問いかけたい事は、はたして、「国際人」、「国際感覚」という単語をどのような意味で使用しているかという事だ。広辞苑によれば、「国際人」「国際的に広く活躍する人」とある。この定義自体も非常に曖昧ではあるが、所謂、イチローや中田英寿、国連の明石氏などがこの定義のあてはまるのであろう。筆者は、しばし、周りの日本人留学生に留学の動機を尋ねる。そして、「国際人になりたいから」「国際人になることが小さい頃からの夢でした」「これからの世界では国際感覚を身につけないと生きてはいけないからです」といった答えを耳にする。彼らはどのような意味で使っているのだろうか?

■「エセ国際人」なら日本にいながらでもなれる。
 中には、「国連で働く」「世界的に有名な国際企業で働きたい」という明確な目標を持ち、それに向かって努力している人間もいる。しかしながら、大多数は、「アメリカという未知の世界での生活を経験しながら、英語を使えるようになる」という事が国際人になること、国際感覚を身につける事と勘違いしてはいないだろうか?そのようなエセ国際人なら、日本にいながらにしても出来る。例えば、在米軍基地の付近には、一種の米国コミュニティみたいなものが存在する。そこで米軍人たちが集まるバーに半年でも通いつめてみればいい。片言くらいの英語ならすぐ使用できるようになるし、彼らの考え方なども次第に分かってくる。また、語学は、英会話教室から参考書まで、日本国内にいながらも身につけることが出来るし、慣習の違いに関する文献も山ほど出ている。つまり、エセ国際人になることが、留学の目的なら、貴重な時間と大金を費やして留学する価値は一つも無いのだ。

■IT革命がもたらす、「国際人」「国際感覚」の定義。
 筆者がこう考えるもう一つの理由に、IT技術のめざましい進歩とインターネットの普及による、グローバリゼーション、ボーダーレス化が挙げられる。私達は瞬時に世界どこの情報でも手に入れることができ、同時にどこへ向けても情報を発信することが出来る。そのような土壌にたっている以上、もはや、「英語を使える」「海外の国の考え方が分かる」というのは、他の人から抜き出た「能力」ではなく、コモンセンスなりつつあるのではないだろうか?

■それではIT革命とは日本人にとって何なのか?
 ITの話が出たので、筆者が考える真の国際人・国際感覚を述べる前に、今の我々を取り巻く環境に多少触れたい。ITの出現で、今まで出来なかったことが出来るようになったりしているこの環境を、読者諸君はどのような位置づけで捉えているのだろうか?ある知識人は、「ルネッサンス、産業革命に続く大変化である」という認識をしている。筆者も大いに賛成ではあるが、筆者の論点を進めていく為には、この視点はあまりにも大きすぎるので、個人的な認識をしたい。それは、「日本にとって、幕末、第二次世界大戦後に続く第三の開国」である。説明を続けたい。まず、開国というと、真っ先に第一の開国、幕末の開国が連想される。一般には、「ペリー提督の来航により、日本が鎖国の歴史を閉じた」という解釈が正しいかもしれないが、筆者的には、「ペリーの来航により、民族としての“日本”という統一したアイデンティティが生まれた」と考えたい。それまで、日本人には、いわゆる幕藩体制の下、日本という統一国家の認識はほとんど無かった。しかし、開国により、他国への認識が高まるにつれ、日本という統一した国家間念を持つ必要性に迫られた。良い例が吉田松陰で(彼は尊皇派ではあったが)、初めて日本という国家を「日の本(ひのもと)=日本」と呼んだ。次の開国は、第二次世界大戦によってもたらされたものではあるが、これは、日本が、アメリカを中心とした資本主義国家陣営の傘下に組み入れられた事により、経済的にも政治的にも世界に進出していくきっかけとなった、と言えるだろう。良い例が、現在では完全にその世界的知名度を持っている、SONY、TOYOTA、といった企業の世界進出が挙げられる。しかし、日本と他国という垣根は存在していた。

■IT革命 −第三の開国−
 それでは、第三の開国はどのように描写することが出来るのか?繰り返しになるが、それは、ITの進歩により、グローバリゼーション、ボーダーレス化が進むことである。つまり、さまざまな分野で国家を超越した世界基準が生まれると考える。もっとも、ITを中心にテクノロジーの分野などでは、先行して世界基準なるものが誕生しているし、英語は古くから国際語として位置づけられてきた。筆者はさらに深く突っ込み、地球人として、世界統一の観念、共通認識などが生まれてくるのではないかと思っている。

■真の国際人とは?真の国際感覚とは?
 それでは本題に入るが、まずこのような環境を踏まえた上で、国際感覚を身につける事とは、「世界基準を身につける事」他ならない。そして、地球規模で統一化が推進されている今、もしかしたら「国際人」という表現を使うのは適切でないかもしれない。あえて言うなら、国際人とは、「世界基準で物を考え、判断し、行動に移す」ことが出来る人間ではなかろうか?このような環境では、地域としての日本のアイデンティティを世界基準に照らし合わせて、弱いところを補い、強いところを前面に出していくことが出来なければ、一個の人間としてイニシアティブを握ることは不可能だ。また、世界が日本人に期待する事、いわゆる、日本人の役割、という物が出てくるに違いない。日本人でしか見れないこと、日本人でしか発想しないことetc.を世界のために出していく事だ。そういう能力を身につけるには、もう一度、日本を、日本人を客観的に見る必要がある。「私は誰なのか?」という事である。
 しばし、国際人のさきがけとして、坂本竜馬が取りざたされることがある。坂本は、来る世界像を遠望し、海援隊たるものを結成して、海外へ出て行く人間たちのモデルとなったからだ。しかしながら、彼の評価すべき点は、彼は自分自身を、世界の中の日本というものを、客観的かつ的確に把握し、行動に移していた点においてである。彼は、土佐藩(今の高知県)の郷士の出身である。土佐藩はいわゆる外様藩であり、土佐藩の君主たる山内家は、関が原の戦いの後、徳川幕府によって配置されたよそ者である。郷士というのは、関が原以前の土佐君主、長曾我部氏の家臣だった者たちをさす。そして、郷士に対する迫害というのは、並ならぬものがあり、坂本自身も自分のバックグラウンドを知っている以上、政界よりも財界を目指した、と思われる。自分自身が何者かを掴んでいたからこそ、今の彼の知名度があるといっても過言ではない。この彼の姿こそ、我々が「国際人」として見習うことではないだろうか?


Last Update : 2003/01/05

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