僕は無宗教?

Written by : Shinya Suzuki

「日本人って本当に無宗教の人ばかりなんだろうか?」

クリスマスというアメリカを代表する宗教的な行事を前に、テレビ番組で聖書の朗読なんかを頻繁に目にするようになった。そんなわけで、最近またこの「宗教」というものついて考えさせられている。

僕が日本にいたときは、自分は無宗教なんだろうな〜と漠然と考えていた。そしてそれは割と良い事なんではと思ってた。海外のニュースを観ていると、宗教がからんで戦争になってたり、国内では過激な宗教団体の活動なんかがニュースになったりで、「宗教」ってものに対してかなりネガティブな印象を持っていたってのがある。宗教なんて持たない方が平和で良いのだ!みたいなお気楽な考え方が僕の中にあった…。

ところがどっこい、アメリカに来て、いろいろな国の、いろんな宗教を信じる人に出会って、

「シンヤの宗教は何なの?」

みたいな質問をされるようになった。

そんな時、「宗教」っていう言葉にネガティブな印象しか持っていなかった僕は、

「う〜ん、無宗教かな…」

なんて困りながらも答えていた。

でも、そんな「無宗教」を標榜する僕が持つカバンには「大本山川崎大師」とデッカク書かれた御守りがくっついてる。

これじゃ〜説得力ないよな…。

確かに僕は、お正月には初詣に行くし、お墓参りとかする。受験祈願で絵馬にお願いごとを書いたし、交通安全の御守りもってるし…。神社にお参りに行ってお賽銭を投げる時とか、結構真剣にお願いごとするしな…。

これって立派な宗教的儀式じゃないの?僕だけが特別「無宗教」だなんて言えないんじゃないの??

そんな疑問の答えを探すべく二、三年前に買った本「日本人はなぜ無宗教なのか」を手に取って読む事にした。実を言うと、今までにこの本をすでに何回も読んでいるんだけど、僕の理解力が悪く、疑問を解くための手がかりにならずにいた。

ところが、今回は僕の疑問を解くためのヒントを発見した。

この本の著者である、阿満氏によると

「私はかねてから日本人の宗教心を分析する上で「自然宗教」と「創唱宗教」という区別が有効だと考えている」

とのこと。彼によると「創唱宗教」というのは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人たちがいる宗教のこと。代表的な例として、キリスト教、仏教、イスラム教などがあって、新興宗教といわれるものもこの類に属するとのこと。

そして、これに対して、「自然宗教」というのは自然発生的な宗教のことで、いつ、だれによって始められたかもわからない宗教。「創唱宗教」と違って教祖や教典、教団を持たない。無意識に先祖たちによって受け継がれてきたもので、ご先祖を大切にする気持ちや、村の鎮守にたいする敬虔な心のこと。

この区別にのっとって考えてみると、教義があって、教祖がいて、っていうのだけが「宗教」だという僕の思い込みがあったことに気付かされる。そして、初詣や御墓参りに行く僕は、「自然宗教」の信者であって、決して「無宗教」ではない。

「自然宗教」と「創唱宗教」のどちらが良いという話では無い。ただ「宗教」という言葉にアレルギーになり、他国の友達に自分の宗教を尋ねられた時、安直に「無宗教です」と答えてしまうのは、僕の教養の無さ、自己に対する無関心をさらけだしているだけな気がするのだ。

そんなわけで、これから他国の国の友達に自分の宗教心などについて尋ねられた場合は、もう少し慎重になって答えようと思う。初詣に行ったり、御払いを受けたりして、僕だって心を落ち着ける宗教心は少なくとも持っているわけだから。そのことを自覚し、他国の友達に話そうと思う。そして同時に、「宗教」って言葉へのアレルギーを無くして、仏教やキリスト教などの考え方について理解を深めていければな〜などと考えている。

かなり固い話題になりましたが、本日はこのへんで。


Last Update : 2004/01/01

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