やりたいことがわからない?

Written by : Shinya Suzuki

 「仕事を通じてあなたがやりたいことは何ですか?」

そう聞かれて、自信を持ってハッキリと答えられる人ってどれだけいるんでしょうか。僕はまだそれに対するはっきりとした答えは持っていません。でも、きっと中にはいると思うんです、この問いに自信を持って答えられる人たちが。僕は、そんな人たちのことをずっと羨ましいと思っていました。そして、そういう人たちに負けないためにも、

 僕も「自分がやりたいこと」っていうのをはっきりとわかっていないといけない。

 そう思って、僕ははいつも「やりたいことってなんだろう」と考えながら生活していました。ところがどっこい、いくら考えてもわからない、答えが見つからない…。「コレだ!」と思うことが見つかっても、しばらくするとその熱気は冷めてしまう。

 こんな僕ってダメ人間なんだろうか…。

 そんな風に思いながら、長い間、僕の頭の中はグチャクチャになっていました。

 ところがそんな状況の中、昨年の夏に、僕は幸運にもいくつかの会社で仕事をさせていただけるチャンスに恵まれました。でも「やりたいこと」がはっきりしていなかった僕は、働く場所を一つに絞るにあたって、とても悩んだのです。もう人生でこれ以上ないくらいに悩みました。ともかく何を基準に選んだら良いのかがわからなかったんです。会社のステイタス?お給料の差?会社の雰囲気??どれも、判断基準にするには決定打にはならない。

 そして、やっぱり最終的には「自分のやりたいこと」をはっきりさせることが一番重要なんだ!と考えたんです。良く日本の就職雑誌とかに「自分のやりたいことを明確化すること」とか、「自分のやりたいことができる会社に」っていうのがありますよね。きっとそういうのにも影響されたのかもしれません。そこで当時、僕も素直に自分のやりたいことや目標をノートとかに書いてみて、できるだけやりたいことを明確化しようとトライしたんですね。

 ところが書いても書いても、僕の「やりたいこと」はどこか陳腐で現実味を欠いていて、なかなか納得のいく答えが出ない。逆に、自分のやりたいことを書いていくうちに、どんどん社会や会社から離れていく気がしてしまう。自分の「やりたいこと」っていうのを常に真剣に考えて生きてきたつもりなのに、いざ就職活動のためにそれをハッキリさせようすると、どこか口先だけの「やりたいこと」な感じになってしまう。

 なんだか現実離れした僕の「やりたいこと」。

 そんな自問自答を繰り返して、僕は、「やりたいこと」っていうのは、あくまで現実世界で誰かとの関わりの中で出てくるものじゃないかと思うようになったんです。社会や世間と僕が全く関わりを持たなければ「やりたいこと」はなかなか見つからない。 僕の場合は、日本の大学を卒業後、「やりたいこと」がわからないまま社会に出て仕事を始めたんですが、今考えるとそれは当然だったんだと思います。というのも、僕に関していえば、それまで家と学校との往復だけで、大人社会、地域社会と関わる機会が極度に少なかったからじゃないかと思うんです。

 アメリカの大学院にいると、一定期間の社会経験を積んで、その中で感じた問題点をなんとか解決したいといった人と多く出会います。つまり、自分一人の世界からだけ、出て来たものじゃない。自分と他者との関係の中で何か足りないもの、問題な事などに気がついて、「やりたいこと」っていうのが出てくることが多い。そして、そういう状況から生まれた「やりたいこと」というのはその後社会に生かされるということで、現実味を帯びていて強い感じがするんです。

 そうなると、もし僕のように「これがやりたい!」と強く願うものがない人間が充実感を得たいと願うのならば、会社や組織、学校などを選ぶ時に、「僕が一番やりたいことを実現できる場所」というよりも、「僕という人間を最大限に評価してくれる場所」または「僕の新しい可能性に気がつかせてくれる所」という方向性で選んだ方が良いのかもしれない。そういう風に考え方を転換してみたらどうかと考えるようになりました。

 例えば僕の場合、もう二十代も後半です。日本で再就職するのは大変と言われています。でも、僕が就職をしようとして、年齢が理由でとある会社に断られたとします。そしたら、それはそれでいいんだと思います。その会社に入ってもきっと僕は幸せにはなれなかった。それよりも、僕がこの年齢までやってきた経験を評価してくれる所に入ればいい。たとえそこが僕の一番行きたかった会社ではなかったとしても、結果として自分を社会や会社の中でより大きく生かすという意味で、最終的には良い選択だったことになると思うんです。

 でも重要なのは、そういう選択をするためには、自分の年齢や学歴などに自信を持つということかもしれません。そうしないと、せっかく会社側が年齢が高くてもオーケなのにもかかわらず、こっちがダメとなってはどこともマッチしなくなってしまう。自分が日本の新卒の人に比べて年齢が高いことが問題なら、自信を持って「高い」と言えばいい。一番大切なことは、自分が今まで一生懸命やってきたことに自信を持つ事。ありのままの自分を見せること。自分というものをそれぞれの会社に合わせて曲げないこと。それに尽きるんじゃないかって思うようになりました。

 僕が社会で、会社でどう生かされるかは、社会が決める、会社が決めてくれる。

 僕は他の誰かからも認められるような目立った才能や能力があるわけではありません。それだったら最終的な自分に対する評価は、社会にまかせてもいいんじゃないかと。思い切って自分というものの価値を、可能性を社会にゆだねてみればいいんじゃないかと。

 もちろんそうする前に、自分で積極的に会社に、社会にアプローチしていかなければならないと思います。決して受け身なだけではいけない。自分のチャンスを広げるために、できるだけ積極的にいろんな所に顔を出してみることや、いいなと思った会社に自分の存在を知らせる事はとても重要なことだと思います。

 でも、会社や大学などにアプローチをする前から、自分のことを「僕は何もできないから…」と判断してはいけないんだと思います。自分で自分のことを評価してはいけない。自分で自分の可能性を狭めてはいけない。だから、「この会社以外には絶対行きたくない!」という強迫観念を捨てて、自分のいろいろな可能性を広げるためのオプションを増やす事。そしてその中から、ありのままの自分を評価してくれる所に行く事。そういう決断ができれば、どこに行こうとも、僕は悪くない人生を送れるような気がするんです。

 日本の大学を出た時は、「やりたいこと」などは考えずに、雇ってもらえる会社でとりあえずやってみようという気持ちで頑張っていました。そして働いている充実感も高かったんです。でも、その後「やりたいことを見つけたい!」と考えて留学を決めたのに、今度は逆にそれに首を絞められてしまった。「自分のやりたいこと」っていうのを自分の世界だけで意固地に考えてしまい、どんどん会社から、社会から孤立してしまっていた。「やりたいこと」を考え過ぎてしまい、逆に「やりたいこと」から遠ざかっている、そんな空回りした状況がずっと続いていたような気がします。本当に苦しかった。

大学院を卒業して、今度自分の人生を決めるような決断をしなければならない時は、そのことを頭に置いて、自分の進路を選ぼうと思います。


Last Update : 2004/02/26

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